2010年 01月 14日
愛は周りに合わせるものではない
私たちは何をしようとお前を愛しているよ」
と私たちの自己愛には両親の愛が反映しています。
そこから来る安定感がなければ、未知のものより既知のものを選び
親の気に入る生き方を求めつづけ、自分自身の基本的な独自性を破壊していきます。
親を喜ばせようとして、あるいは社会全体を含めた他者の期待にこたえるために
結婚し就職し子供をもうける限りそこからの営みは本質的に浅薄なものとなる。
愛情深く子供に接していても、そう期待されているからというのが主な理由である間は
子供心に鈍感で、微妙な、しかもしばしば最も重要な愛の表し方がわからない。
愛の最高の形は、常に完全に自由な選択です。
周りに合わせるためのものではありません。
自分を大切にし、親の期待に沿うために自分を殺すのはやめませんか。
しっかり自立し「私は私で生きていきます」と不純な両親に正々堂々と言ってやりましょう。
明日は、新月と十五夜が重なりますね。お塩の取り換えと新月に願い事を忘れないように
しましょう。私も明日は、たくさんお祈りいたします。

今日のブログは親にも読んで欲しいです(・・*)
何を決める時でも、親の顔色を伺っている自分がイヤになる事があります。この歳になっても怖いんですね^^;これこそ、自信を持って勇気を持って自分を主張していかなければならないです。大きなことをいつも言いながら、親子の関係になるとシュンとなりますね^^;ハズカチ…
はっきり主張できた時に、親を超え本当の意味での自立ができるんだと思います。
自分の子ども達には寛大でいたいですし、ある程度の距離をもって付き合っていきたいです。とにかく自分で責任さえ取れれば、思うように生きていってほしいですからね。そういう点では無条件に愛しているつもりです。
愛は親子の関係が基本なので、改善していかなければならないと思いました。気づきをありがとうございます。


私も経験積みです。
母親を亡くすということは、一番つらいことですよね。自立を早く促されています。ご自分の足で立ってご自分を幸せになさってください。お母様はいつでも応援してくださっています。


努力している人は、良い方向に導かれます。

もう、親がやってきたことをわからせることは不可能です。
憎しみが湧いてきます。
年をとってからでも、自信を持つ事は可能でしょうか?